"つながり"について考えた『わたしを離さないで』を読んで
以前から気になっていた、カズオ・イシグロ著『わたしを離さないで』を読んだ。印象的だったことを自分の体験談と交えながらまとめる。(ネタバレあり)
なぜこの本を選んだのか?
もともとわたしは、ひとが新しい技術に出会ったときの心の変化や葛藤が好きで、SF小説を読んだり、SF映画をよく観たりする。
わたしを離さないで、は森美術館で開催されていた「未来と芸術展」で偶然に出会ったことがきっかけで読むことになった。
感じたこと
わたしを離さないで、はSF(とカテゴライズして良いものかすこし悩んだ)にしてはとても読みやすかった。それは、主人公の回想で物語が進行していくこと、幼少から大人になるまでの心と身体の発達が端正に書かれていることが理由だ。
序章ではじれったく感じたものの、読み終えたいまとなってはこの端正さのおかげで、素晴らしい作品に仕上がったのだなと思う。
まぁ、端正であるがゆえに、感情移入しやすい自分にとっては登場人物の心の機微のようなものをまざまざと感じてしまって、読後感としてはただただ、「切ない」という気持ちになったのだけれど。
「切ない」と感じたのは
なぜ「切ない」のだろうか。読み終えたあとはしばらくはその理由を考えていた気がする。
あとがきにあったが、カズオイシグロ作品の根源的なテーマには「ひとは記憶を捏造する」「運命は不可避である」という2つがあるそうだ。実際、この小説も「命」を題材にして、この2つのテーマが端正に描かれていたと思う。
この題材を自分なりに解釈する過程で親と子の"つながり"を感じたことが、切ないという感想のきっかけになったのでは、と思う。
なぜ親と子の「つながり」なのか
昨年、わたしのまわりで「生と死」を感じる出来事が連続的に起きた。
兄に2人目の子どもが生まれ、姉に1人目の子どもが生まれた。家族が命に関わる病気で突然入院し、親族が1名亡くなった。
これらの出来事はたった2ヵ月の間にすべて起きた。この怒涛の2ヵ月のおかげで、自分の価値観は大きく変わったし、当たり前の存在が実は決して当たり前でないことを強く実感した。
そして「家族を大切にしたい」という気持ちもより一層強くなったし、家族との絆のようなものを強く意識する体験となった。
だからこそ、この小説の設定でもある、異端なものたちをどんな手を使ってでも守ろうとするひとたちを「親」だと感じ、親の手を借りてじぶんたちの定めを徐々に受け入れていくひとたちを「子」だと感じたのかもしれない。
そして、親と子の思いが果たされないことも"運命"だとする物語の展開に対して「切ない」という感情を抱いたのだろう。
このブログを書くために、いろいろ考えて思ったが、運命って絵に表すとまるで鎖みたいだなぁと。
また読みたいと思える作品
この小説は日がたったときにもう一度読みたい。
1度目に感じた、先が読めない、奇妙で違和感のある展開へのワクワク、ドキドキ感とは違う感覚を持てそうな気がするから。
ちなみに、こうなるであろうという物語展開をいくつかメモして読み進めていたが、2のような物語展開でも読んでみたい。別の小説でありそうな気もするけれど。
1. 約束のネバーランドのような人間が別の生き物へ生贄とされる世界
2. 富裕層が健康法のひとつとして自分の遺伝子からクローン人間をつくり培養する話