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Homilog

たまに頑張る。

フィリップKディック『 Time Out of Joint ( 時は乱れて )』を読んで

(※ネタバレあり)フィリップKディック著『 Time Out of Joint (邦題: 時は乱れて )』を遂に読み終えた。購入したのが確か今年2016年2月。手元に届いてパラパラッと読んで放置。それで気が向いた時に手に取って読むを繰り返して、読み終えるまでに8ヶ月くらいかかった(長旅)。


(映画『トゥルーマン・ショー』より)

1.きっかけとあらすじ

そもそも、なぜこの本を手に取ったのか。去年、ロボット開発者を取材するための事前準備として『アンドロイドは電気羊の夢を見るのか』を読んで、ディック氏の世界観に魅了されたこともきっかけのひとつではあるのだけど、1番の大きな理由は、2年半前に観てどハマりした「トゥルーマン・ショー」の元ネタだったから。

さて、この本を軽く説明しておく。主人公は懸賞クイズで2年間連続チャンピオンの男、レイグル。レイグルはときどき自分が見ている世界に対して違和感を感じたり、自分が自分ではないような感覚に陥ることがあった。その感覚を違和感としてはっきり自覚する引き金となったのは、隣の家の子どもサミーが廃墟から持ってきた紙切れと古雑誌。古雑誌には自分がみたこと、聞いたことのない世界が断片的に載っている。でも、レイグルはどこかに既視感を感じていて、そこから彼の運命の歯車が回り始める、といった感じ。

2.緻密に計算された”ディック流プロット”

本の読み始めから中盤にかけては物語の進み方もゆっくりめ?で、主要な登場人物も多く関係性も複雑だったり、不気味な伏線も小出しにされているのだけどそこまで警戒するほどのものではなかった。パラノイア系の精神異常者の話かなー、と思いながら読み進めてたんだけど、レイグルの向かいに住むビルブラックが実はあちら側の人間だったことがわかった瞬間に「あ、これは何かあるんだ」と一気に頭がスッと冷めたのよね。

もうそこからは怒涛。レイグルは妹の旦那ヴィックと協力して(ヴィックもレイグルの様な違和感を少しだけ感じてた人物)、違和感の正体を掴むための心理実験をしたり、違和感を裏で緻密に仕組んでいる(であろう)組織の足取りを追うために無線で逆探知を試みる。その時の2人は確証がないけど何となく動かないといけない、って本能レベルで行動をする一方で「実は自分たちは頭が、精神が異常なのかもしれない」ってものすごく葛藤して苦悩するのだけど、そのシーンがまたね、読み手を引き込む引き込む!

彼らが疑問を持った様に、これを理解しようとしている私の認識は正しいのか、むしろ私が生きているこの世界は当たり前なのか、って。そういうことを考えはじめると止まらないし病むだけだから普段は考えないようにしてるけど、ディック氏の小説はそこを必ず考えさせずにはいられないようにするんだよね。

本当にディック氏の物語の作り方はすごいとしか言いようがないよ。一見すると有象無象に並べられているかのようなパーツが、実は読者の心により浸透するように緻密に整然とはめ込まれていてすべてが計算されている。あぁ、こういう人が天才というのか、何て思ってしまった。

3.ネタバレと行動に表れる深層心理

唯一無二だと思っていた世界は、実はそうではなかった。自分の平衡感覚が失われていく感覚。安全で守られた世界から一歩踏み出した先で待っていたのは、時間・時空の乱れと感覚の歪み。

レイグルとヴィックが当たり前だと思っていた、ありきたりで平和な世界は<ただ一つの幸福な世界>と呼ばれており、それを信奉する人々によって作られていた世界だった。

その世界の外では、月面の植民地化を推進する側<ルナティック>とそれを反対する人間同士の内戦が繰り広げられている。(※読んでいてどうしても明確に掴めなかったのであくまでも個人的な解釈だけど、両者が争っているのは政党対立といった政治的な背景が起因しているみたい。) レイグルは、元はルナティック反対派閥のもとで、ルナティックが打ち込んでくるミサイルの発着時間・場所を予測していた。しかし、ルナティックに傾倒し始めたことを反対派閥に気付かれ記憶を抹消された。そして作られた世界に送り込まれ、表向きは懸賞クイズと称された、ミサイルの予測をずっとやらされていたという訳。ヴィックはレイグルが記憶を抹消される前によく訪れていた青果店の従業員だった。作られた世界でも同じく青果店の従業員として働いている。レイグルが新しい世界でも違和感を感じないで(過去の記憶を取り戻さないために)生活できるように送り込まれた人物だった。

細かい不気味な伏線は、彼らの抹消前の記憶に起因するものだったわけだ。

以前、記事で読んだことあるけど、自分の行動や発言は、たとえ意識をして気をつけていたとしても、深層心理が滲み出ているんだって。その深層心理は、過去の体験や記憶で作られるもの。つまり、初めてなのに既視感を感じる事物って、過去にそれにつながる影響を受けていたり、体験があるのかもしれない。それは、思い出せないだけなのか、思い出”そうとしない”からなのか。

4.まとめ

『Time Out of Joint ( 時は乱れて )』を読んで色々なことを考えさせられた。自分の平衡感覚についてここまで考えたのは、ものすごく久しぶりで、何だか不思議な感覚だった。
Sci-fi系の小説、マンガは深層にあるメッセージがすごく強烈なのよね。ディック氏の作品はもちろんのこと、楳図かずお先生の機械や未来を題材にした作品も、やっぱりメッセージが強烈。それでいて、大抵下記のようなメッセージが物語のいたるところに散りばめられて、暗喩されていたりする。

  • メディアによる世論操作
  • 制度は国が”管理””統制”しやすいように作られている
  • 国家は自分たちが創るもの

メディア(特にテレビのワイドショー)は斜めから見ると矛盾にすぐに気付く。それは制度も一緒(例えるなら結婚制度とかね)だったりする。社会を効率的に動かすために作られた事物を、少し距離を置いて懐疑的に見ることの重要性をたびたび気付かせてくれるのは、読み物のジャンルの中でも、Sci-fi系が1番ではないかと思う。うーん、何だかSci-fiはRock的な要素が強い気がしてきたぞ。

さてさて、長々と夜更かししてしまった。ひとまずSci-fiサイコー!ということで締めておこう。次のディック氏の小説どれにしようかな。やっぱり「高い城の男」かな(*´-`)

時は乱れて (ハヤカワ文庫SF)

時は乱れて (ハヤカワ文庫SF)

デトロイト美術館展に行ってきた!

上野の森美術館で開催されている、「デトロイト美術館展」に行ってきた!たくさんの画家の絵が展示されていたけれど、なかでもピカソルノワールの絵が印象的だった。


ピカソ

素人目の感想ではあるけれど、ピカソの作品を7作品くらいみて「この人はあらゆる技法をどんどん取り入れる、勉強家であり努力家なんだなぁ」と感じた。

それは、絵の端々から、ピカソという人間の生真面目さがまじまじと伝わってきたから。

実は、ピカソは今でこそ奇抜な画風の印象が強いけれど、初期の頃は、そこまで奇抜なものは多くなかったみたい。でも、ある時から、その作風をガラッと変えていた。

その変化を見て、あぁ、ピカソのなかで積もり積もっていた何かがはじけて、「俺が描きたいのは商業用の絵ではない!」「俺は俺の絵を描く!」と思い立ち、培ってきたノウハウを混ぜ合わせた、独自の画風が生まれたんだなぁ!って妄想してすごく興奮した。(本当かどうかは知らない)

これまで、ピカソの絵はまったく理解できなかったけど、なぜ評価されているのか、フワッと理解できた気がする。それにそういう背景がもし事実(であることを願う)だとしたら、なんてロックな画家なのだろうか!ピカソかっこいい!!(本当かどうかは知らない)

ルノワール

ルノワールの絵についても思うことがあった。

ルノワールは、現代に好かれるような画風だなぁ〜、って、今日の展示会に行くまでは正直甘くみていた。

でも、実際にルノワールの絵を間近でみて、その細部に至るこだわりに、とても惹きつけられた。

遠目からだと気づかない。でも、近くでみると、目の輝きや下唇のふくらみ、目頭から頰の曲線、裸体の乳首にいたるところまで、緻密な工夫が凝らされている。

光の加減で、それらの象徴的な部分のみ、絵の具が重ねられたり、加工されていることに気づいた。そして、それらの小さな加工が、絵の女性に命を宿していることに気づき、ハッとした。

ルノワールは、間近でみていると、本当に絵が生きているかのような錯覚に陥いる。

名前が思い出せない

もうひとつ印象的だったのは、名前忘れちゃったけど、パリのとあるカフェを描いたもの。

おかしなことに、その絵はインドネシアのとある光景を思い出させたのだ。

着飾っているのに、どこか寂しげな表情でぼーっとする人や、男女がタバコをふかしながらだべっている光景は、私が一年前に訪れた、ジャカルタの高級デパート内にあるカフェでの光景を想起させた。

フランスとインドネシア。まったく逆の国なのにこのシンクロニシティは何なのかなーって不思議に思った。過去のパリの街並みが、インドネシアよいまの街並み。何だか不思議。

まとめ

デトロイト美術館展は、これまでのわたしの絵画に対する価値観をガツーーーーンと変えてくれた。たくさんの画家が、自分の感情や精神状態を一枚の絵で表現していた。

言葉を使わずに、自分の根底にある感情や思いを第三者に訴えることができるなんて、画家という仕事は本当に素晴らしい。そしてその生き様が本当にかっこいいな、って思った。

これからもピカソルノワールは要チェックしたいなぁ、と思う。美術館巡りは新たな趣味だ!

そしていろいろあって一人暮らしのお供として、今日からサボテンを育てることになった。赤子と黄子。一郎と二郎。に命名。よろしくね。

アドレナリンジャンキーに効く薬

 

アドレナリンジャンキーに効く薬ってなんだろうか?

たぶんわたしはアドレナリンジャンキーなんだと思う。刺激がない日々が続くと廃人みたいになってしまう。なので、今年は積極的にアドレナリンがバンバン出るスポーツに挑戦していこうと思う。

ボルダリングは落ちることの恐怖。スラックインはまさに「吊り橋効果」といってもよいほどの緊張感を味わうことができるんだぜ。

 

このふたつのスポーツもいいけど、パルクールというスポーツ。めちゃくちゃ楽しそう。

 


Freerunning In Bangkok's Ghost Tower | Team Farang

相手のことを知りたいと思う気持ち

相手のことを知りたい、と思う気持ちは不思議だ。

ただ興味があるから
もっと仲良くなりたいから
自分の成長した姿を見て欲しいから
相手の変化した姿を見たいから

そう思う理由はいろいろあるよね。

自分がツライときに偶然近くにいて
人には見せたくない嫌なところをズバッと当てて
そのままでいていーんだよーって諭してくれて
全部まるっと受け止める

悲しい感情は時間とともに薄れていくけれど、
嬉しいとか有難う、っていう正の感情を強く感じた瞬間は、いくら時間が経っても忘れないものだなぁ、って。

四捨五入したらアラサーだけれど、まだまだ解明できてない感情はたくさんある。

と、ちょっとポエミーなことを書いてみる。

悩む。

 

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仕事を始めて1ヶ月が経った!ようやく社内の空気感や雰囲気にもなれた。

コンテンツマーケッターとしての仕事も、模索しながらではあるけれど少しずつ前進はしている、と自己評価。

ただ、自分の実力の無さ、知識量の無さを、日々痛感している。

これまで、IT畑でライティングしていたとは言え、ソフトウエア開発会社で正社員として働くのは初の試み。

 

社内のエンジニア同士の話題で頻出する、Python,Ruby,Perlなどのプログラミング言語。クライアントを訪問した際にでてくる、IT系ネットベンチャーの歴史とプログラミングのイベントの名前。 

すべてを理解するのは、非エンジニアの自分にとって、難しいのはわかってる。 

でも、みんなが”何を”話しているのか、問題としているのか、注目しているのか、少しでも理解できれば、話し合いができる。

そうすれば、自分の視野が広がるし、仕事の幅も広がるのに、と強く思う。 

じゃぁ、自分もプログラマーになれるのか?と言われると、正直難しいし、あまりにも短絡的すぎる。ただ、みんなが何を話しているのか理解するために、プログラミングの知識を増やしたい、とは思う。

 

そこが、非エンジニアの私に求められた”本質”ではないことは重々わかっているけれど、本質をつく上で、見逃せないポイントではあると、認識している。 

業界を知る、エンジニアを知る、プログラミングを知る、ITを知る…etc 

幸運にもやることはたくさんある。ネガティブにならないで、前向きに吸収する心意気でいようじゃないか!

毎日、何かしらの前進をしてそこに楽しさを見出そうーー!

 

http://toyokeizai.net/articles/-/125599?display=b

 

最初の日

緊張して1時間半しか眠れなかった。

環境が変わる前日は決まって眠れなくなるのよね。
 
今月から新しいカイシャです。
カイシャで働くのです。
 
緊張するなぁ。
でも、まずは求められているものに応えて、慣れてきたら自分のアイデアも出していくということだな。
 
最初の月はひとまず、「コミュニケーション」に重きをおいて、人、サービスとひたすらコミュニケーションを取る。
 
内部把握を把握する「知るフェーズ」
どんなことをしているのか、内部を積極的に把握していく。知るフェーズでは、ただ受動的になるのではなく、能動的に動く。取材、ライティングなどの自分が”いまできる”手段を使って「相手のサービスを知る行動」のアウトプット/プロトタイプをつくっていく。
 
次は「実行・検証フェーズ」。知るフェーズで得た結果をもとにして、自分がいまできる手段の”検証”をして、”効果”を上げていく。
 
次は「精査のフェーズ」。一連の流れの効果をもとに、効果が高いもの低いものを割り出す。高いものは引き続き。低いものはなぜ低いのか分析して、改善できるか否かを判断。取捨選択する。
 
このサイクルをもとにして、一ヶ月単位の短期間サイクルと、三ヶ月単位の長期間サイクルで
ログして効果を検証するぞー!
 

デザインと人工知能に人類学が必要とされる理由と共通点

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午前のworkshopで発表された「ライフプログレスベースのプレゼントサービス」のプロトタイピング。参加者はインタビュイーにプレゼントに関する思い出を聞き出し、アイデアの構築した。これも人類学(相手のニーズ)を生かしたデザインの一種だと個人的には解釈してる。

5/17にMicrosoftで開催されたDesign for Innovation2016に参加してきた。

一番印象的だったのは、デザインにも人類学が必要とされていること。人工知能もその重要性が議論されている。両者の目的をとことん突き詰めると「イノベーション」という言葉で混じり合うと思うのだけど、その前段階の”動機”にあたる部分は、まったく違う気がするなぁ。

デザインにとっての人類学の必要性=イノベーティブな発想を作り出す(未来) 人工知能にとっての人類学の重要性=曖昧だったものを明確化するため(過去) みたいなイメージ。


翻って、技術のコモディティ化によって、技術革新に答えを求めるのが限界があるから、生物の起源とか根本的なところが注目されている、のかとも。

でも、これはデザインに置き換えるとハマるんだけど、人工知能にはハマらないんだよなぁ。

人工知能の場合は、ヒトに関する解明が求められていて、その答えを技術に求めるのが限界だからこそ、生物の起源とか根本的なところが注目されている。

デザインににおける人類学の必要性についてもっと勉強しよう。分野的には人間工学、UXとかなのかな。