Homilog

たまに頑張る。

リアルな緊張感があった初夢

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新年明けましておめでとうございます。

2015年は激流の一年でした。

ライターとしての活動を本格的にスタートして、新しい経験や出会いに胸が高鳴った一方で、自分が書いた原稿でお金をもらって生活する事の大変さや現実を身を持って体感した一年でした。

プライベートでは、恋愛や友情などいろいろな面で別れがあり、何度も何度も自分と向き合いました。いくら考えても明確な答えや納得できる理由が見つけられなかったり、相手の考えが理解できず、もはやひとと接するのも億劫だ、と思うこともあった負の感情が多い一年でした。

 ただ、悪いことばかりではなく、こういった経験があったからこそ、自分の悪い癖のようなものに気がつくこともできました。

自分が思っていることがすべてではないこと。

ひとの数だけ考え方や意見があるということ。

だからこそ、物事やひとを流動的に受け止めるのは止めること。

ひとつひとつ取り入れて、正面から向き合うこと。

そして、自分にとって”本当に大事なことやひと”の軸を作ること。

 

まぁ、2015年の振り返りと反省はここまでにして、

今年2016年はこれまでの全経験を糧にして、表現や創作の幅を広げていきたいです。

そして、自分がしていることやできることにもっと自信を持っていけたらなぁ、と。

去年は、自分のライター活動にあまり自信が持てなくて、発信することにすごく抵抗を感じていました。今年はそういった自信の無さからくる「迷い」を無くしていきたいです。

 

嬉しいことに、そんな自分の思いを汲み取ってか、今年の初夢はいつもとちょっと違いました。

内容は、魅力的なコミュニティに参加するために、試験官のような人の前で自分の情熱をPRするというもの。このコミュニティには人間的にとても魅力的な人たちがたくさん集まっていて、私はどうしても、どうしても参加したかったんです。

最初は万人受けするようなとても”無難”な自己PRを考えていたのだけど、直前になって、「これを言えば、確かに相手には好印象を与えるかもしれない。でも長期的に考えた時に自分はその理由を軸にできるのか。自分に嘘をつくことになるのではないか。」と考えて、結局自分に嘘をつかない素直な理由を、冷や汗をかきながら相手に伝えました。

その後、実際に受かったのかはちょっと曖昧なんだけど(汗)、それを言った後は全く後悔していなくて、自分はやりきったぞ、という気持ちでいっぱいでした。

自分に嘘をつかず、自分の気持ちに正直に。「迷いを無くす」ということはつまりこういう行動を指しているのでしょうね。


まぁ、そんなこんなで激流だった2015年から、2016年は激流のなかに身を置きつつも、自信を持って、自分の本質と共鳴するものを見逃さない「直感」を大切にする一年にしようと思います。

では、今年も健康第一でがんばりましょう(❁´◡`❁)

本当の達成感。

今しがた、はじめて個人的にお仕事を依頼してくださったクライアントさんに原稿をお渡しできた。無い知恵を最大限絞って算出したお見積りと一緒に。

 

なんなんだよぅ。この達成感は。

 

泣きそう。やっとの思いで書き上げた原稿だから。

内容は最終的には先方が判断するものだけど、とにかく私のいまのスキルを最大限に生かした原稿だ、って思う。

 

もしかしたら、イマイチ。

と思われるかもしれない。でも、それはそれでしょうがない。

それが、わたしの限界だということだから。現実を受け止めよう。

 

反応が良くても悪くても、企画から執筆まで全部ひとりでやった。

はじめてもらった仕事を完成できたことは、自分にとって絶対にプラス。

 

今回見つけた不足部分を次には生かすぞ。

 

とりあえず、お見積りをだすときに見つけた良ソース。

【ライターのお見積書の書き方】

ライターの見積書の書き方 - 見積書の書き方チェックリスト「ミツモリスト」

フリーランスは消費税を請求するのか】

フリーランスや小規模事業者が消費税をちゃんと支払ってもらうべき5つの理由 | F's Garage@fshin2000

 

【お見積書の各項目の金額の算出方法】

◯万円÷22日=1時間あたりの私の時給。

時給✕(企画・打ち合わせ・資料・取材・原稿)それぞれにかかった時間

 

【今回かかったトータルの時間】

18.5時間

日数:3日

フルコミット:1日(8時間)

 

*次回への注意

・取材直後のフルコミットで「原稿」に費やした時間を大幅削減

 

(名言)時給換算 時は金なり 気づくべし

 

感情爆発のサイクル


自分の本心を相手に伝えたら嫌われちゃうんじゃないか、って思う。

本心を言わないのは、嫌われたくないから。

我慢して自分のなかに押し込める。

結局、感情的な態度をとるというカタチで爆発する。



本当に大切だと思うひとだから本音を言う、っていう言葉があるけれど、私の場合は本当に大切なひとだから本音は言えない、のかもしれない。

だから、伝え方をよく知らない。


我慢することから脱却するには。
自分の本心を、考えて、相手に伝わるように、言葉で、意見として、伝える努力が、私には必要みたいだ。

来年の抱負は「心」と「伝える」かな。


リモートワークで共同体感覚は身につくのか

 
ここ1ヶ月くらいちまちまと読み進めているアドラーの嫌われる勇気。
最近では寝る前に5分10分読む時間を設けて、1日を反芻していたりする。
 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 
アドラー心理学は他者貢献と承認欲求をまったく別物だと捉えている。
 
他者貢献は、自らに価値があると実感するために、自らが共同体に対して積極的に貢献しようとすること。
承認欲求は、他者に認めてもらうために、あらゆる選択にもとづく決定を他者ありきで考えながら貢献すること。
 
このふたつの主な違いは自由度の大きさ。
前者は自ら動くため、対人関係やさまざまな方面から得られる貢献感は自由度が高い。
しかし、承認欲求は他者に認められることを目的としているため、得られる貢献感には制約がある。
 
承認欲求を満たそうと思うきっかけは、わたしは誰かの役に立っているという自己肯定感が欠乏していること、とアドラーは言っている。
 
つまり、承認欲求にとらわれている人は十分な共同体感覚を持てていないということになる。そのため、同じくトライアングルの一部である他者信頼、他者貢献ができていない。
 
 
「共同体感覚」をじぶんに置き換えて考えてみたときに、じぶんはこの感覚を持てていないんじゃないか、って不安になることが最近多い。
 
思えば、OLを辞めて、周囲に簡単には理解されない道を選んでから、本当に共同体感覚がわからなくなってしまったのかもしれない。
 
パッと思いつく限りで、いまのわたしの共同体感覚を養うためのタスクの大半を占めるのが「仕事」なのだけど、リモートワークメインのチームの働き方だと、物理的な距離が原因からか、共同体という意識はやはりどうしても持ち辛い。
 
リモートだけでは、伝えたいこと、相談したいことが対面と比較すると圧倒的にやり辛くなる、適切に伝えられない。コミュニケーションの弊害が多すぎる。
 
共同体感覚を築けるような居場所の作り方というのがいまの課題だと感じる。
人間の成長を促す手段はやっぱり、たくさんの気のおける人間同士のコミュニケーションしかいない。最高のチームワークを築き上げたいなら、リモートじゃ無くて、身近に仲間がいたほうがそりゃぁ成長するスピードも早いよね、当たり前だけど。
 
 
 
 
 

言葉で伝えるよりも絵にして伝えるほうが10倍難しいの!

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言葉だけで伝えるってなんて楽なんだ……
ってインフォグラフィック原稿を作っているとヒシヒシ感じる。

ちょっと語弊を招きそうなので補足すると、書く側の工数という観点からみたときに、書くだけの方が工数がかからないというニュアンスを込めて「楽」と言っているわけで、決して書くことなんてわたしにとってeasyだぜ!という訳ではない。
(むしろ”書く”ことだってまだまだままならないもの。)

工数がどれくらい違うかざっくばらんに考えてみると、いつもやっている取材記事制作だとわたしの工数は5〜6(残りは編集さんと校正さんね)。
一方、インフォグラフィック入りの取材記事制作となると、わたしの工数7〜8(デザイナーさんに後は任せる)とグッと増える。

インフォグラフィックの工数の内訳をみてみると…
取材1
文字起こし2
要点整理3.4
不明部分のリサーチ5
絵コンテ作り6-8
みたいな感じ。特にこの絵コンテ作り、骨が折れる折れる。まず、自分自身が先方が話した言ことをちゃんと理解しないとならない。
じゃないと、パッとみて読者に伝わるような絵なんて作れない。

よしこの枚数でいくぞ!と決まっても、書いていくうちにこれも付け足したほうがいい、あれもこれも…みたいに気づいたら当初予定していた枚数に付け足ししていってるという「お岩さん現象」が自然と起きているのだ。恐ろしい!

終わらない絵コンテ、終わらないリサーチ。
やっと完成した!と思ったら直しが入るという罠。

まさに底なし沼。

今回は初回だったこともあり尚更だったのだろうね。入門編のような構成だったら事前にウェブサイトとかで得た概要をもとに簡単なラフ画を作って、それをもとに話を進めたほうがよかったのかもしれないなぁ。

そうすればお岩さん現象はきっと防げるに違いない。あと実際に絵コンテつくる前に何枚作るのか、記事のどこにいれるのか?みたいなところもがっつり固めておいたほうが良さそう。


次回へ生かせることがたくさん。

インフォグラフィックライターとかできたらちょっとかっこいいよなぁ〜とか妄想しちゃった。



人工知能は人間を超えるかを読んでふと考えた学者の存在意義

 

 

人工知能は人間を超えるか (角川EPUB選書)
 

 

この本を読んでいると、人工知能に関するのとはもちろん、学者の存在意義というものについても考えさせられる。

 
なぜ、大企業は社内に研究所を持つのか、大学機関と協働してプロジェクトを進めるのか、それは「人類の進歩につながる”真のイノベーション”はアカデミックな領域から生まれることの方が多い」からではないかと。
 
大企業は資金力という強みを活かし、研究所を自社内に作り、アカデミックな知識を集約しようとする。そうすることで、人類の進歩に寄与する新しいイノベーションが起きた際に、いちはやくそれを知ることができるし、ビジネス化に向けて動き出すこともできる。
 
というのは本を読んで考えた(妄想した)ことで、本以外にもそう思わせられる出来事を最近経験していて。
 
先日取材したアンドロイド研究の第一人者石黒先生、人工知能のインフォグラフィック制作にあたり取材した人工知能学者の高橋先生。他には超人スポーツ協会の稲見先生。
 
みんながみんな工学系 (高橋先生は出身は生物学であるけれど、脳科学の知識を生かしつつ人工知能にアプローチをしている) 出身にもかかわらず、「人間にしかできないこと」あるいは「人間の心や身体の解析」に重きを置いて研究を進めている、という共通点があるのだ。
 
アカデミックな現場に携わる人たちのあいだでは、「”いま”の人間の知識を凌駕するロボットなのかコンピュータなのか、”なにか”が現れて、人類がこれまで長い年月をかけて築き上げてきた社会的な”役割”が崩壊する世界がやってくる。それは”知能生物としての役割”という言葉にも置き換えることができる。そういった世界が間違いなくやってくるからこそ、知能生物だからこそできることを”考える”必要がある。」という話がなされていて、あらゆる研究はそういった思想のもと進めているのではないか、とか。
 
つまり、学者のあいだでは数十年、下手したら数百年後の世界は明確に予測されていて、そこから逆算していまとるべき行動を決めているのではないかと。
 
「未来を予測するのに最善なことは、それを創ることだ」という言葉が、まさにアカデミックの世界では実現されていて、こういう人たちが世界を動かしているのだな、と敬服してしまった。
 
第一線のひとに取材をすればするほど、自分がいかに知ったつもりでいたか考えさせられるし、本当は”知らなかった”という事実に気づく。
 
世の中は、本当に知らないことばかりだ。日々変わりゆく世界に少しでもついていけるように、毎日ひとつは新しい考え方、概念などを吸収していきたいものだ。
 

 

人生における「タイミング」について

「手段とやりたいことは=ではない。」

わたしは今まで、チャンス!だと思うことは、自己成長と視野を広げる、という目的で脇目も振らずに飛びついてきた。

そうすることで、新しい人脈、新しい環境、新しい仕事、新しい知識…たくさんの”新しい”ものを得てきたように思える。
その反面、新しいものに埋もれ過ぎてしまい、自分のテーマがブレてしまっているのではないか、と時々感じることがある。

そもそも、ライターというのはあらゆるお題のもと、インプット、アウトプットをしなければならないという特徴があるので、テーマがブレてしまうのは必然的なのかもしれない。ましてや、売れっ子ライターになりたいのであれば尚更。

相性的な意味で、ライターのそういった特性と自分の性格的特徴で重なっている部分は確かにある。なので、相性が悪いとは思わない。

でも、漠然と「このままじゃいけない」と不安を感じることがよくある。
なにか、テーマを持つ必要がある、テーマじゃなくてもじぶんのなかの軸と呼ばれるものが。

この感情は一体どこからくるのか。
自分はどうしたいのか。
どこかないがしろにしたくない部分を自らないがしろにしてしまっているから、こう感じるのか。。。

心に引っかかっているもやの正体って一体何なのだろう。

こういった問いって結局すっきりした答えが見つからないのがほとんどで、どんどんブラックホールにハマっていく。

じゃぁ、答えを見つけるためにどうするのが賢明か?

「動く」のみ。
じぶんの手元にある仕事に真摯に向き合う。
じぶんの直感に少しでも引っかかる人や会社に自分から積極的につながりを持とうとする。
まずは、そこから。