Homilog

たまに頑張る。

人生における「タイミング」について

「手段とやりたいことは=ではない。」

わたしは今まで、チャンス!だと思うことは、自己成長と視野を広げる、という目的で脇目も振らずに飛びついてきた。

そうすることで、新しい人脈、新しい環境、新しい仕事、新しい知識…たくさんの”新しい”ものを得てきたように思える。
その反面、新しいものに埋もれ過ぎてしまい、自分のテーマがブレてしまっているのではないか、と時々感じることがある。

そもそも、ライターというのはあらゆるお題のもと、インプット、アウトプットをしなければならないという特徴があるので、テーマがブレてしまうのは必然的なのかもしれない。ましてや、売れっ子ライターになりたいのであれば尚更。

相性的な意味で、ライターのそういった特性と自分の性格的特徴で重なっている部分は確かにある。なので、相性が悪いとは思わない。

でも、漠然と「このままじゃいけない」と不安を感じることがよくある。
なにか、テーマを持つ必要がある、テーマじゃなくてもじぶんのなかの軸と呼ばれるものが。

この感情は一体どこからくるのか。
自分はどうしたいのか。
どこかないがしろにしたくない部分を自らないがしろにしてしまっているから、こう感じるのか。。。

心に引っかかっているもやの正体って一体何なのだろう。

こういった問いって結局すっきりした答えが見つからないのがほとんどで、どんどんブラックホールにハマっていく。

じゃぁ、答えを見つけるためにどうするのが賢明か?

「動く」のみ。
じぶんの手元にある仕事に真摯に向き合う。
じぶんの直感に少しでも引っかかる人や会社に自分から積極的につながりを持とうとする。
まずは、そこから。

石黒先生の「未踏」イベントレポートでボツになったけど個人的には印象に残ったところ

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  • 「未来を予測するのに最善な方法はそれを創ることだ」

別に大学生っていうルールはないと思うんですが、どうして今の大学や学科を選んだのだとかというと、はっきりいって偏差値だけで選んでると思うんです。

僕は最初から大学を目的で選べとは言わないです。大学で何をやりたいか分からないのは当然なんですから。だって、色々なことを知って経験しないと何やりたいか分からないでしょ。でも、大学に入るとそろそろ社会に出て自分が何をしたいのか、何を作りたいのかぼんやりと見えてくるはずですよね。

つまり、僕がいいたいのは、いい加減その偏差値というレールから外れて本当にやりたいことに挑戦していって欲しいということ。これまでは、大学に行って、大企業に入って、レールに乗るような社会っていうのが学生の理想だったような気がします。

でも、そういう時代ではなくなってきている。

日本も要するにアメリカのモノマネをして物を作っていればいい時代ではなくて本当にクリエイティブなところで勝負をしないと努力だけで豊かな生活を送れる時代は過ぎたとということですね。

本当の人生の選択をしないといけない局面において、ぜひ自分の可能性を試してもらいたい。これは僕自身の思っていることなんですけれども、この世界で技術者として生きていくにはいくつかの基本的な問題があるということですね。それは未来は誰が知っているのかということ。これは僕の言葉ではなくて、アラン・ケインの言葉なんですけど「未来を予測する最善の方法はそれを創ることだ」という名言がある。つまりこれは、未来は技術者、クリエイティブな人間しか知らないと。クリエイティブな人間が未来をこう作りますという提案をして、それが実現しているのが未来ですから。もちろん、リスクはあるけど、技術者には未来を作れるほどのクリエイティブな活動にどんどん挑戦をしていってもらいたいんです。

 

  • 人間の進化と技術の進歩の関係性について

技術っていうのは常に人間にとって進化の方法であるんです。動物と人間の違いは技術とか道具を使うかどうかというところですね。だから人間の進化と技術を分けて考えるということはありえない。

あと遺伝子以外にも技術という進化の方法を持っているのが人間だということですね。人間って社会的な生き物です。要するに物を作って売ろうと思ったら社会を見ないといけないし、社会がなければ知能も発達しないので社会を無視することはできないんですよ。つまり、すべての答えは社会にあるんじゃないかなと思います。

 

  • 自分がつくれそうな未来を考えた時に、ロボットの世界がイメージできた

自分自身の生きる目的とか人間の生きる目的とは何なんだということですね。お金を儲けることなのかご飯を食べることなのか、それとも他に何かあるのかということなんですけど、そういう自分の深い目的に向きあえば、チャレンジするネタはいくらでもあるはずだということです。

私自身の未来というか、自分が作れそうな未来っていうのは、こういう世界だということでロボットだったり、人間型ロボット「アンドロイド」の世界を作ろうと思ったんです。それでロボット社会を実現して、その中でいろんな世の中で広く使ってもらえるロボットを作りたい。

ロボットを実現するために、ハードウエアの問題はほぼ解決できたんですけど、今後はソフトウェアが重要になってきますね。だからこの未踏で多くの挑戦者が今後ロボットにももっともっと広く関わるようになったらなと思うわけです。

 

  •  わたしたちが使う未来の「メディア」の”インターフェース”はロボット

このロボットの研究というのは、私は特にそうなんですけど、完全にメディアの研究だと思っています。メディアの研究において重要なのは、すべてが人間らしくなるということ。人にとって最も理想的なのはインターフェースというのは人であって、ロボットの研究=人の研究ということなんです。

つまり、ロボットに限らずメディアの研究、情報・コンピューターの研究、すべては人を認識するためだったり、人に向いているわけですよね。だって、コンピューターのシステムとかロボットのシステムを相手にするのは結局”人”なわけですから。

 

  • 新しい技術がわたしたちの世界に入りこむための最初の経路は「ゲーム」

世の中どうなるかというと、新しいメディアが出たら必ず始まるのがゲームですね。どんな場合も必ずゲームからスタートします。携帯でもそう、パソコンでもそうです。ゲームっていうのはコンテクストがあるので誰でも簡単に無条件に楽しめるわけです。また、楽しみたいという欲求は誰でも持っているわけですからね。ゲームの次に出てくるのは学習用の教材とかですね。英語、特に言語教育にはロボットが非常に向いているのかなと思います。

子供とか大学生とか、若い人たちがロボットとか新しいメディアに慣れてくると徐々に一般の人たちも使えるようになって高齢者の対話相手としても受け入れられるようになるというのが、ロボットが世の中に出て行くストーリーだと思います。もちろん他のメディアもクラウドコンピューティングとかいろいろなものが進むんですけど、一メディアとしては今後ロボットがさらに広がってくるように思います。

 

  • これからの研究、製品開発では「ボーダレスであること」が主流になってくる

脳科学とか認知科学だけでは「人」って測りきれないんです。重要なのはすべてのシステムとか製品は人の為に作られているということです。人に関する深い知識がないとヒット商品はなかなか作れないはずなんです。ところが脳科学とか認知科学は脳の基本的な機能ばかりを見ていて、全体的な働きを見ることがなかなかできない。

しかし、ロボットであれば違った角度からの人間理解が生まれるわけです。そのためには、認知科学、哲学も含めて全くボーダーレスな研究が必要となってくる。それが私のやり方です。 

実は、これって製品開発においても同じことが言える。従来は、すでに要求のある環境ではっきりと指示されているなかで開発をしてきたと思うんです。自動車とか冷蔵庫とか、そういう白物家電と言われるものがまさにそうです。

しかし、これからは人が要求をはっきり出さないけど、人に受け入れられるようなものが増えていきます。スマートフォンもその一種ですね。特に無くても困らないけど、一回それに適用してしまうと中々離せない、というような。ロボットも同じようなことですね。だからこそ、そういうものを作るには人間に関する深い知識がより必要になってきます。


スマートフォンゲームの世界ではすでに脳科学とかなり結びついて、脳の解析なんかをして、人をのめり込みやすくさせるゲームをどう作るのかという研究もありますね。今後はそういった研究分野がボーダレスになっていくのかなと思います。

そこで、”そういった研究”とは何かという話しになるんですけど、これは意外に大学で教えてくれない。大学で教えると不都合なことがいろいろありますから。人気ない研究をするともっと人気がなくなってしまうような。(笑)

要するに、研究とは誰も知らないこと新しいことを発明したりすることなんです。これは当たり前ですが、あまり明確に言う先生はいないんじゃないかなと思います。

 

  • 「研究・製品開発とは新しい概念をつくるということ 」

これは技術とも製品開発とも置き換えてもらってもいいと思うんですけど、研究とは新しい概念を作るということであって、一つの製品だけをつくっても会社はうまくいかないんです。製品の寿命というのは永遠ではないですから。いろいろなものをどんどん作ろうと思うと新しい概念を作るというのが大事かなと思います。

 そのときに注意したいのが、その研究や製品がどの分野に属するかというのが明確にわかっている場合は”半分”新しくないんだということですね。本当に新しいものは何者か分からないわけです。「私はロボットの研究をします」と言った時点でその人は半分研究を諦めているというのと同じですね。何か分からない研究をしなければならない。それゆえに、先生の研究を真似しても研究者にはなれないということですね。

部屋とライターとわたし

自身の仕事について第三者へ説明もしくは相談する際に要点を適切に伝えるために、また「ライター」という仕事を自分なりに噛み砕けるようになってきたと感じるこのタイミングで、私なりの「ライター職について考えること」をちょっと書いてみる。

 
※ここで言う「ライター」とは主観的要素が強く、あくまでも「私」が置かれている環境をもとに感じたことを記している。(つまり、ある特定のメディアの専属ライターではなく、様々なメディアに寄稿するような、フリーランスに近いライターを意味する。)
※分別しやすいように、メリット、デメリットというかたちで分けてみる。

メリット
○業界のトップクラスの方々にお話を聞ける
○限定された分野で最新の情報を仕入れることができる
○未来の予測ができる
 
△これまでお世話になった方にプレスリリースというかたちで貢献することができる
 
デメリット
◉広く浅く、みたいな働き方になる
◉一度書いた記事はノータッチなので、PVなどのマーケティング部分にはタッチできない
◉フリーという形態に近い分、メディアを動かしているという感覚がどうしても薄くなる
◉クライアントは日本人向けのメディアなため、どうしても日本が軸になってしまう
◉仕事をする場所は選ばないといっても(海外でも可)結局取材案件は日本が多い
 
▶︎じゃぁこれからどうして行きたいのか
1.仕事は変えず環境を変える
単純に、ある特定のメディア、団体の専属ライターにはなりたいと思う。
その理由としては、広く浅くというようなライティングではなく、自分が働きかけることで、そのメディア、あるいはプロダクトの価値があがり、成長する過程がみたいと思うからだ。
 
→つまり、ライター業をやりつつPVなどのコンテンツマーケティングにも携わっていくというようなことをやりたい。そして、あるプロダクトのユーザーの増加につながる、といったプラスアルファの価値を創出していきたい。
 
2.最低限の生活は保証されるか
日本に強いこだわりはない。ある程度生活が保障されるような条件下であれば、海外での仕事もやりたいと思っている。
 
3.多様性、あるいは異文化共生
自分の語学スキルを生かしたい、さまざまなバックグラウンドを持った同僚と働きたいと思う。
 
3.とりあえずやってみる
ライターという軸はぶらしたくないので、ライターキャリアは育成していこうと思う。究極な話、ライターが出来なくなるような環境をチョイスしない、また日本という場所に限定され、日本人としか話さないとできないような仕事さえ選ばなければ、あとはどういった方向に向かってもいいのではないか。
チャンスが来ているなら飛び込むしか無い。

 

インターネットとのほどよい関係〜ヨガを通して感じたこと〜

 

インターネットと関わることがとても多くなった近ごろ。

インターネットのこと、きらいじゃないんだけど何だか距離が近すぎて息苦しいなぁ〜、って感じはじめていたのでちょっと離れてみる試みを。(ほんとにちょっとだけど)それで感じたことをツラツラと書いていこうと思う。

 

試みひとつめ、ヨガのレッスン。

偶然見つけたお家の近くのヨガ。幸運なことに、他に生徒さんがいなかったので先生とマンツーマンレッスンができることに!やったぜ!

 

.......うんうん。この感じ。

太陽みたいな先生のことばにあわせてポーズをつなげていく太陽礼拝。

ひさしぶりということもあって、最初はぎこちなかったけど、一連の流れを繰り返していくうちに自分のカラダが自然と次のポーズへ動いてくれるようになっていた。

  

思えば、留学してからひとりでやることはあったけど、だれかと一緒にやるヨガは1年半ぶりだ!ひさしぶりのヨガはとっっっても気持ちよかった。やっぱり自分にとってヨガはとても大きな存在で離しちゃいけないんだなぁ、と心から思った。

 

そして心の変化に伴う?ちょっとした気づきも。

ヨガは個人競技ではなく、団体競技だということ。

たしかにひとりでも出来るのけれど、誰かと一緒にやることで、相手からパワーをもらって自分のパワーも相手にあたえて。協力して大きなパワーをつくっていくことができる。つまり、相手の心と自分の心の「共鳴」こそ、ヨガの醍醐味なんだなぁ、と。

 

もちろん、自分のカラダと心に向き合えるところは個人競技に近いものがあるし、それもヨガの魅力のひとつではあるのだけどね。現に、ちょっと前まではそういうところがヨガの一番の魅力だ!と思っていた。でも、近ごろの私は個人ではなく、団体や集団のなかの個人であることを求めていて。そうした心の変化にあわせてヨガの定義も変わっていったのかもしれないな。

 

レッスン終了後、先生とちょっと雑談。

まず先生に貴重な時間をいただいたことに感謝をして、その後にひさしぶりのヨガで感じたこと、発見したことを率直に伝えてみた。

先生と会話をしていくなかで、少しずつ自分の気持ちに気づいていった。インターネットのベストな関係の取り方に対するヒントも得れたような。

もしかしたら、わたしは目的と手段を履き違えているかもしれないということにも。

 

本当の感情は心の奥底に眠っているかもしれない。少しずつ時間をかけて探求していこう。あせらず。ゆっくりね。

 

次は登山をして感じたことを綴ろうかしらね('ω')

脱線こそ良いコンテンツにつながる

(イベント参加の雑多メモ)

「グローバルに活躍するための条件とは?」

主催:株式会社ボーダー

*スピーカー

ぬーらぼ橋本さん

ライフハッカー米田さん

ハートキャッチ西村さん


*所感

タイトルはライフハッカー米田編集長が残した名セリフ。

個人的に脱線する話はあまり好きじゃない。でも、チームでネタだしをするときは脱線するのが付き物だし、そこからおもしろい発想が生まれることは結構あるよね、と深く共感した。
 
さらに、米田さんはワードチョイスと間の取り方がとてもお上手。笑いを取りつつ、鋭い視点で切り込んでいくところ、主題を自然に切り替える、全体の空気を読み取る力の高さ。聞いている人をまったくもって飽きさせない。頭のなかにはたくさんの情報網が張り巡らされていて、なにを使うのが最適なのか瞬時に判断できるのだろう。瞬発力がすごいなぁ、と話を聞いていて感じた。
 
過去に執筆されたシェアという書籍のお話をしていたときに、ツィッターで呼びかけてひとの家を泊まり歩く「トーキョー ノマド」プロジェクトというものも取り上げていて、意外と現場派なことに驚いた。

他にもデジタルデトックスのすすめなど、ご本人が執筆されている過去の書籍はなかなかキャッチーでおもしろい。今度読んでみよう。
 
「英語」と「グローバリゼーション」がトークセッションの軸だった。
個人的には国内サービスを海外輸出する際の経験談、教訓みたいなことをお伺いしたかったのだけれど、今回のイベントではプロダクトやサービス観点のお話はあまり出ていなかった。

でも、語学、非日本語圏でのコミュニケーションをする上での気づきや共感がたくさんあった。また、堅苦しくなくカジュアルなイベントだったので終始リラックスをして楽しむことができた。

特にぬーらぼ橋本さんの外人スタッフとコミュニケーションをする際のスラング体験談には爆笑してしまった。

グローバルチームで活躍する会社は、自分にとって強く惹かれるものがあるなと感じる。
 
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労働とアイデンティティ

千と千尋の神隠しは「労働とアイデンティティ」というテーマが隠されているらしい。

 

わたしにとってこの作品はジブリ映画のなかでもとくに思い入れが強い。

それはなぜか。言語化するのが難しいのだけれど、あえて言語化するとしたら「千尋の芯の強さへの憧れ」みたいなのを感じたからだと思う。

 

でもまさかそんな背景が隠れているなんて、今日の今日まで気づかなかった。

幸いにもあしたは休みだ。ゆっくり鑑賞してみて、どう感じるかじっくり考えてみようじゃないか。

なにかヒントがみつかるかもしれない。

ユングと宮崎駿の世界観

IDEA-MOO<時事評論(『千と千尋と神隠し』と日本(1))>

【哲学書ランキング】

IDEA-MOO<西洋哲学書ベストテン>

 

言葉に対してもっと誠実に向き合おうと思う。

2015.8.27

昨日、剣道部時代からのともだちに会った。

そのともだちは、勉強もできて、剣道も強くて、頼り甲斐があるのに、みんなからいじられることの多い、いわゆるひとから愛されるタイプのひと。

もちろん、わたしもそんなともだちが大好きで、芯の強いひとだなぁ、ってずっと憧れていた。

 

久しぶりに会うことになったので、地元のおしゃれなイタリアンレストランに行くことに。

アンティーク調のインテリアが特徴的で、ジャズが流れる素敵なお店。

そこでゆっくり料理を食べて、2時間くらいお話をした。

 

驚いたことに、強いと思っていたともだちは、わたしと同じ悩みで苦しんでいた。

共通の悩みをお互いに分かち合い、それに対する解決策を話し合った。

答えは出なかったけど、悩みを共有できたことで、こんな感情を抱いているのは自分だけ、という孤独感が払拭されて、気持ちがとても楽になった。

 

バイバイをした後、自分で自分自身を振り返ってみた。

 

去年の8月から1年間全力で突っ走ってきた。

最近は少しずつスピードダウンしてきていて、おかげさまでいろいろなことを見つめ直すことができるようになっている、気がする。

走っているときの心情はきっと、止まるのは怖い、止まったら誰かに追い抜かされるっていう、実態の見えない恐怖と戦っていたんだなぁって、冷静に分析している。

 

見えない恐怖の正体は「他人」ではなくて「自分」だった、ということも今では何となくわかってきた。

それを気づかせてくれたのは、他の誰でもない友人という存在。

だからこそ、彼らに対してもっと誠実になろうと、心から思った。

LINEの文章一つでも、相手に自分の「ありがとう」の思いがちゃんと伝わるように

。絵文字に頼らないで、ちゃんと文章で思いを伝える努力をしようと、その重要度の高さを最近は強く実感している。

 

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