Homilog

たまに頑張る。

「思い込み」は毒にもなれば、薬にもなる〜『ハリネズミの願い』を読んで

オランダの作家/詩人 トーン・テレヘン氏の大人向け絵本『ハリネズミの願い』を読みました。

臆病で心優しいハリネズミの「思い込み」と「葛藤」はとてももどかしくて、どこか愛おしい。ふと気がつくと、過去の体験と重ね合わせながら物語を読み進める自分がいました。

ハリネズミの願い

ハリネズミの願い

ハリネズミの願いとは?

臆病で心優しい主人公のハリネズミは、ほかのどうぶつと楽しくおしゃべりしたいけれど、「自分のハリのせいで相手を傷つけてしまうかもしれない」「ハリを見て笑われるかもしれない」と思い込んでしまい、なかなか一歩を踏み出せない。

ある日、ほかのどうぶつを自分の家に招待しよう!と思い立ち、招待状を書こうとするけれど、何を書くべきかわからない…もし、ほかのどうぶつたちがお家に来たらどうなるんだろう…と考えすぎてパニックに!

ハリネズミは自分の勝手な思い込みで、傷ついたり、悲しくなったりと感情が大忙し。自分に振り回されて疲れ果ててしまいます。

どこかほっとけない臆病なハリネズミ

主人公のハリネズミは、妄想力が大変豊かで、57匹のどうぶつを家に招待する妄想をしますが、最終的にはどのパーティーも大失敗に終わってしまいます。

失敗するかどうかなんて、やってみないとわからないのに、度重なる失敗シミュレーションのせいで、もとから自信のなかったハリネズミはより一層自信を無くしていきます。

「本当に傷つくかはわからないけど、今よりも自分が傷つくなら "心地よくはないけれど、これ以上は傷つかない" という可能性のなかに生きていたい」
妄想を重ねて自信を無くしていくハリネズミの心情は、まさにこれです。

「もう、考えすぎだよハリネズミ!」と突っ込みたくなります。笑 ただ、ハリネズミの複雑で繊細な感情はわからなくもない。過去に心から後悔をするような失敗体験があるならば、ハリネズミの気持ちも少しは理解できます。

毒にもなれば薬にもなる「思い込み」

井の中の蛙大海を知らず」ということわざがあります。

井戸の中に住む蛙は、井戸での生活が世界のすべてであり、そのすべてをなんでも知っている気になっているが、井戸の外の世界については何ひとつ知らない、という意味を持ちます。

過度の妄想を繰り返すなかで、自分の妄想の世界が現実だと思い込み、現実の世界で一歩踏み出せないハリネズミもまさに井の中の蛙大海を知らず状態です。

ただし、この物語の良いところは、ハリネズミが勇気を出して外のどうぶつと交流して待ち受けていたのは、敵だらけの世界でズタボロにされる!というひどい仕打ちではなく、とても優しくて心がほかほかする世界でした、という結末です。

つまり、あんなに恐れていた世界は、ハリネズミの思い込みでただ作られていだけ、ということがやっと、最後にわかるのです。

自分の意識で物事の見え方は変わる

ハリネズミが独りよがりの妄想から抜け出して、ようやく見つけた暖かい世界。

周りはみんな敵だ。自分は1人でも全然へっちゃらだ。と自分に言い聞かせないと不安で消えちゃいそうだったあの世界では決して気付けなかったことが、優しい世界でやっと気付けました。

結局、物事の見え方なんてじぶんの思考と意識で常に変わるものだよね。だったらネガティブよりもポジティブでいた方が自分が幸せになるね」そんな大事なことを、臆病で心優しいハリネズミは、改めて私に思い出させましたとさ。


※ちなみに、この本を知ったきっかけは、心理学で「ヤマアラシのジレンマ」という人間関係の例えがあることを知ったことでした。心理学者は本当に良い例えをしますね。

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ハリネズミの願い