Homilog

たまに頑張る。

人工知能は人間を超えるかを読んでふと考えた学者の存在意義

 

 

人工知能は人間を超えるか (角川EPUB選書)
 

 

この本を読んでいると、人工知能に関するのとはもちろん、学者の存在意義というものについても考えさせられる。

 
なぜ、大企業は社内に研究所を持つのか、大学機関と協働してプロジェクトを進めるのか、それは「人類の進歩につながる”真のイノベーション”はアカデミックな領域から生まれることの方が多い」からではないかと。
 
大企業は資金力という強みを活かし、研究所を自社内に作り、アカデミックな知識を集約しようとする。そうすることで、人類の進歩に寄与する新しいイノベーションが起きた際に、いちはやくそれを知ることができるし、ビジネス化に向けて動き出すこともできる。
 
というのは本を読んで考えた(妄想した)ことで、本以外にもそう思わせられる出来事を最近経験していて。
 
先日取材したアンドロイド研究の第一人者石黒先生、人工知能のインフォグラフィック制作にあたり取材した人工知能学者の高橋先生。他には超人スポーツ協会の稲見先生。
 
みんながみんな工学系 (高橋先生は出身は生物学であるけれど、脳科学の知識を生かしつつ人工知能にアプローチをしている) 出身にもかかわらず、「人間にしかできないこと」あるいは「人間の心や身体の解析」に重きを置いて研究を進めている、という共通点があるのだ。
 
アカデミックな現場に携わる人たちのあいだでは、「”いま”の人間の知識を凌駕するロボットなのかコンピュータなのか、”なにか”が現れて、人類がこれまで長い年月をかけて築き上げてきた社会的な”役割”が崩壊する世界がやってくる。それは”知能生物としての役割”という言葉にも置き換えることができる。そういった世界が間違いなくやってくるからこそ、知能生物だからこそできることを”考える”必要がある。」という話がなされていて、あらゆる研究はそういった思想のもと進めているのではないか、とか。
 
つまり、学者のあいだでは数十年、下手したら数百年後の世界は明確に予測されていて、そこから逆算していまとるべき行動を決めているのではないかと。
 
「未来を予測するのに最善なことは、それを創ることだ」という言葉が、まさにアカデミックの世界では実現されていて、こういう人たちが世界を動かしているのだな、と敬服してしまった。
 
第一線のひとに取材をすればするほど、自分がいかに知ったつもりでいたか考えさせられるし、本当は”知らなかった”という事実に気づく。
 
世の中は、本当に知らないことばかりだ。日々変わりゆく世界に少しでもついていけるように、毎日ひとつは新しい考え方、概念などを吸収していきたいものだ。